虫と私

 私が20代の頃、土をいじる事はあまりかっこいいことではなかった。高度成長のまっただ中にあり、ものの価値、幸せの基準はすべて貨幣に置き換えられていた時代である、汚れ仕事は嫌われもの、切り花は愛でても、それを育てる喜びを味わうなどということは、まだごく一部の趣味人のすることだった。一方、個人の庭に目を向ければ、花はどちらかというと木の添え物的存在だったのではなかろうか。床屋に行きたての頭のように、乱れなく刈り揃えられた木々合間に、雑草のない黒々とした土を見せるのが美しいのである。畑に出ることのできなくなった高齢の祖母が、狭い自分用の一角に花を育てていたが、その花壇は決して庭の一部ではなかく花畑であった。
 こんな美観が根底にあるので、きれいな土を覆う雑草を放置するのは恥ずべきこと、主婦のだらしなさを世間にさらしているようなものと、という一般常識があったように思う。庭仕事といえば、木の剪定と草むしりを意味した。

 私の母が、女手ひとつで3人も娘を育てていた頃、恐ろしく忙しかったろうと思う。それでも、いつも庭を 'きれい' にしていた。疲れた体にむち打っても草を退治していた。草ぼうぼうの庭にしておくなんて、恥だから、どうにも手が廻らないときには、私に命じることが多かった。どんなにか私に手伝って欲しかったことだろう。でも、当時の私は、そんなよごれ作業は否だったし、また必要性も認めなかったから、頑として手伝わなかった。困り者の娘は、母の愚痴のメインテーマのひとつになってしまうほどに。

 その私が、主人、姑、娘達と共に1戸建ての家に越してきたのは、それから10年以上を経ての事だった。

 もともとは畑であった土地だが、長い間更地で放っておかれ、その後は砂利を敷いて駐車場になっていた。遠方に住む主の知らぬ間のできごとである。当時の私達には土のことがわからなかったし、若くて健康だったから「住みはじめればなんとかなるさ」それしかなかった。土は肥えているはず、砂利をどければ家庭菜園ができるだろうと楽観していた。だが、引っ越しのどさくさから一息ついてふと見れば、土は砂利と混じってしっかり固くなっている。まるで死んだ土だった。それでも、若さが勝って、家族総出の砂利拾いが始まった。見ていた飼い犬は、大きな石を唸りながら移動させては自慢げにこっちを見るようになった。手伝っているつもりである。もちろん、建築中に、庭になる部分を整地をする案は建築業者の方から出ていたのだが、ぎりぎりの予算で内装もしない鉄筋コンクリートの家を建てたくらいだから、とてもそれどころではなかった。

 そして確かに、なんとかなった。四角く囲った花壇にはやがてミミズが住むようになり、それ以外の土は、娘達と犬とでより一層しっかり踏み固められていった。あるとき、遊びにきた母が、「あんなに気持ち悪がっていたのに、今はミミズのいる事を喜んでいる。見ればキャーと言って逃げていたのに!」と驚いていた。勝手なもので、固い土を少しでも柔らかくしてくれる味方と思えば、私の見方が変わっていたのだ。'平気' とは言えないが、シャベルですくって花壇に放り込むようなことは、さしたる抵抗もなくできるようになっていた。

 ミミズの例は、こちらの価値観の変化によって受け止め方が変わった例だが、もう一つ、ゴキブリの場合は、事情が変わってくる。

 集合住宅に住む限り、こればかりは自宅でどう対処しようと無理なものと思っていたが、新たに住む家にはゴキブリを入れまいと構えていた。ところが、悲しいかな、やはり時折みかけるようになってしまった。それもそのはず、連中は黄金バットのように、開け放った窓から飛んで入ってくるのだ。網戸のない(これも予算の為)我が家では、防ぎようもない。だからといって放っておく訳にもいかず、見つければ、家の誰かが退治しなくてはならない。一番確実な方法は、第一発見者が即退治することなのだが、私は、いざ新聞を丸めて叩くとなると、全身に鳥肌が立ち、怯えと共に叩く瞬間に奇声を発するというまことにみっともない有り様だった。へっぴり腰で敵を退治できるわけがない。よほど間抜けか弱ったヤツでないと、私の手にはかからない。そこで、登場するのが主人である。「やっつければ英雄だけど、そこなえば罵詈雑言だもんなあ」と言いながら、おもむろに、しかもすばやく体勢を取る。狙いを定めると、目にも止まらぬ速さで手が動き、必殺率はかなり高かった。しかも、その殺し具合が実にうまい。つぶさずにちょいと気を失わせる程度なのだ。だから、さっとすくってトイレに流してしまう。跡形もなく事が済んでしまうのだ。こうして、彼がうまいことゴキブリをやっつける度に、私は惚れなおした。

 ところがある日の事、「ママ〜、ゴキブリ〜」と子供部屋から悲鳴がある。主人はその夜帰宅がとても遅いことになっていた。「今、子供達を守るのは私しかいない」そう思いきや、呼吸を止めて全神経を集中、子供達も身動きせず、部屋の中の時が止まったかのようだった。数秒後、成り上がり英雄が敵を仕留めたのは言うまでもない。のみならず、その日以来、私にも黄金バットを退治することができるようになったのである。人間心の持ちようで、こうも変わってくるのだ。

 だから、自分は、もしも飢饉が来て何日も食べ物にありつけなければ、きっと虫でもなんでも食べるようになると思う。食に満ち足り、'Basketball Belly' などを 所有している今の私は、想像するだけで身震いがし、鳥肌が立つのだが......