庭日誌 August 前半|後半 最初のページに戻る戻る

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5日

 時折夕立ちがある。そうすると、夕方の水撒きから解放されホットする。炎天下に置かれていれば、鉢の水が涸れるのは、いた仕方なく、朝に晩に庭中を見て廻る。植物の中には夕方萎れいても、水をやれば何ごともなかったかのように元気に戻るものもあるが、一度萎らせてしまうと、その葉は決して快復せずに見苦しく枯れていく種類もある。左のトラデスカンティアとヘリクリサムは、焼け付くような陽に当てるとますますきれいになる。土がかさかさになっていても、葉がしおれることがなく、その日のうちにたっぷり水を補えば快復する。

 意外にもだめなのは、イチゴ。しなしなになった葉はしだいに色褪せて枯れていく。中から新たな葉がでてくるので、逞しくはあるが、生えそろうまでが見苦しくなる。石垣イチゴって水涸れしないのだろうか?それから、木の実。ブラックベリーは土を乾かしてしまうと、実がしなしなになって、いくら水をやっても戻らない。もう1日待って、食べようと楽しみにしていた実を随分萎びさせてしまった。

 今日は2度目の茗荷の収穫。定番は、卵とからめてお吸い物だが、細かく刻んで味噌とあえてみた。ちょっぴりの味醂とひとつまみの砂糖、仕上げに、炒り胡麻を加えて、暖かいごはんに載せてみた。なかなかいける!私の糠味噌はなかなか美味しくならない。で、ここのところしっかりかき混ぜるようにしている。底から大きくぐるりぐるりとかき混ぜる。なかなか量が増えなくて、キャベツが漬けられないから。朝に晩に糠漬けを食べるようにして野菜の水分を出しては糠を加えていたら、そろそら大きな葉もつけられそう。3年の間に何度止めようと思ったことだろう。明日は処分しようと何度心に決めたことだろう。それでも瓶の蓋を開けると、糠は生き物のようで捨てるのに忍びない。なんとか自慢のできる味にしたいもの。

 テッポウユリ・カサブランカに継いで、3番手のカノコユリが咲いている。キキョウが再び咲き出した。ひと通り咲き終わってから切り詰めておいたら、そこから葉が出て花芽を付けた。フロックスもハツユキソウも、同じように2度目がさきだしている。

7日

 中央にあるのはサンゴミズキ、ここにあったシャラはどんどん枯れはじめ、見るに忍びなくなってきた。そして昨日の朝、とうとう 思いきって抜くことにした。できるだけ枝を払い、太い部分はのこぎりで切り取り、50センチほどになった幹をつかんでグイと動かした。よほどの力が要るものかと思っていたのだが、根鉢がそのままぐらぐら動いた。そうか、三年前からほとんど根が張っていなかったのだ。様々な角度から動かしてから、持ち上げたはいいのだが、移動するには力が足りない!どうしよう?どーすべーか〜!

 二の腕を確かめた後、全身の力をふりしぼって植え込みの外、芝生の上まで一気に移動した。それからは、ひきずって裏まで運んだのだが、その嫌なこと!生気のない大きな根っこの固まりを引きずるのは、大きな動物の死体を運んでいるような(経験したことはなく、想像であるが)気持ちがした。裏まで運んだら、もうひと仕事。最後の力を振り絞って持ち上げ、枝を捨てる囲いの中へ投げ入れた。元の所へ戻ると、引きずった後に土が太い線を作っている。ぽっかり空いたところに、分け入って草を抜いた。おお、良くお育ちになった雑草さん達よ。汗でぐしょぐしょになってシャワーに突撃直前に、鉢植えのサンゴミズキ をそのまま置いてみた。秋になったら、じっくり掘り返して植え付けてあげよう。

 家の中に、鉢を載せている可愛い籐の三輪車がある。何気なく鉢を持ち上げたら、逆さにカマキリの卵がくっついている!なんてこったあ!こりゃ大変。 慌てて持ち出して割り箸でこそげ取った。それにしても、いつの間にカマキリがこんな所に卵を産んだのだろうか?この三輪車、一度も外に出したことはない。とすれば、....。

 疲れた8月の庭を「庭の概略、2002.8」に更新した。

14日

 晴、晴、快晴が続いている。毎度のことなのだが、水撒きをする度に、浄水施設を通ってきた水を撒き散らすことに後ろめたさを感じる。使用料と浄化料を払うのは私、と言えばそれまでだが、皆がみんなこう考えたら、電気にしても何にしてもたまったものじゃない。空気だって、黒い煙りを出しながら「俺の車だ、俺の払ったデイーゼル油だい」と開き直られたら、たまらない。水と空気は、生命体のみならず、地上にあるもの全てが共有しているものだから。空気が汚れば置き物だって黒くなる。

 要するに、こんな後ろめたさがあるので、「強くなっておくれよ」と言える余地のありそうな木の所は水を撒かない。したがって、我が家の芝生は茶色を帯びだした。「そろそろあんた達にもちょっとは水をやろうかねえ」と思い始めた矢先、寝ぼけ眼で開けた居間の窓を開けたら、こんな光景が目に飛び込んで来た。なんという対比だろう。焼け付く太陽を、浴びれば浴びる程艶やかな花をつけるサルスベリの花びらが、弱り始めた芝生の上で生き生きとしている。散ってここにあるのに、瑞々しい。

 真夏は取り立てて庭ですることはない。実家の母は、炎天下でも庭の草取りをするというが、私は、草も景色の一部と思うことにしている。だから、母にとって「くつろぎの庭」はちっとも居心地の良い庭ではないのだ。いつか妹が、怠慢を攻められている私を、「秋が来ればみんな枯れちゃうものねえ」と笑いながら庇ってくれたことが思い出される。そうよねえ、あんた達秋になれば枯れるのよねえ。

 暑さに気力の失せた時、マルバチトセランの葉挿しから芽がふたつ出ていることを発見した。(右の写真)傷んで見苦しくなった葉を、縁にちょいと挿しておいたのは数カ月前だったと思う。増やす気もなかったのだが、たまたま友達から「チトセランからマイナスイオンが出るらしいのよ。欲しいのだけれど、どこに行っても売り切れなのよ」と聞いたから。需要に合わせて供給側も抜け目はない、今ならどこの花屋に行っても見つかる。ほとんどが丈の長いアツバチトセランの方だが。とにかく、誕生は嬉しい!「おやおやおや〜」と、むっつり皺が笑顔皺に変化する。

 

 炎天下に喜んで飛び出していったのは、何十年も昔の事。「あれあれよ〜、こんなに布を節約しちゃって!こんでも、いくらかするのかい?」祖母が干してある私のビキニを、まじまじと見て驚いて言ったっけ。泳ぎ過ぎて太くなった腕は、ウエディングドレスの袖に収まらなくなっていたっけ。

 生気のない庭のあちこちから芽が出てくる草花に興奮したのはついつい数カ月前の春。「毎年巡ってくる春」と「人生の春」。「毎年巡ってくる夏」と「人生の夏」一年の周期と、たった一度の人生の周期が重複してくる。お日様の光りに疲れて、有り難さを忘れちゃあいけないね。