庭日誌 December 2001 前半| 後半 最初のページに戻る
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| 12/16 |
実は先月から自分の書斎の工事に入っていて、施主もなんらかの形で参加するという企画の請け負い工事のため、そちらの方にかかっていた。外で脚立に乗る経験が生かされて、室内ならば乗ったり降りたりはお手のもの。にわか左官屋を気取っていたら、右肩が腫れる程こってしまった。時折、電気が走るような痛みがある。 そして、今日は久しぶりに庭仕事。今年は、檜のおが屑がたくさんあるので、マルチングはこれにしてみている。のこぎりで引いた時にでる、こまかな木屑なので、ふわりさらさらと草花の根元に広げてやれる。見た目にもいい。 シオンや菊は根元から切り取ったが、今年は枯れたままの茎は、ユリ、ハナトラノオ、ホトトギスなど、できるだけそのままにしている。枯れたものは見苦しいとさっさと取り除くよりは、じっくり冬の風情として見ていきたいから。 イチゴもツボサンゴも綺麗に紅葉している。霜を避ける為に軒下に避難した草花も多く、西側は寂しくなってしまった。 北側の砂利道はここまでで一様いいことにしよう。(右の写真) 目を上に向けて、延長鋏みでイチョウやエゾエノキの枝切りに取り組んでみた。三メートルも伸びるのだが、それでも到底届く距離ではない。例によって届くところまでの枝をぼきぼき切り取った。もう落葉樹はどれも葉を落として、枝の流れが良く見える。どの木にも固い芽がもう出そろっていて、これを見ていると春の兆しのように思えてします。冬本番はこれからというのに。 そろそろ植木屋さんの出番なのだけれど... ま〜だかな〜。 |
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| 12/5 |
辺り一面、日一日と冬景色に変わっている。ハナミズキ、イチョウは少し残っていて、モミジ、サンシュユはまだまだ見どころ。こうしてみると、落葉の時期は、木によって随分とずれている 今年の秋は紅葉の美しさが目立ったのだが、これは私の関心のせいだろうか、それとも全国的な傾向なのだろうか。ハッキリとした秋が長くあって気持ちの良い日が続いている。 裏の砂利道工事は少しずつ距離が伸びている。何といってまとまった作業はないのだが、落ち葉を拾ったり、鉢物を土に埋めてみたり、砂利拾いに飽きるとそんなことをしている。 黙々と砂利を拾っていると「始めがあれば、終わりがあるんだよ。始めがなければ終わりもないんだよ」と、母の言葉が繰り返し思いだされる。私は若い頃からこまめにいろいろな物を作った。編み物、縫い物。どれも、すぐに仕上がるような物ではなく、自分の始めたことを持て余していると、それを見て、必ず母がこんな風に言っていた。だから、いつかは終わるんだと、頭の中でその言葉を繰り返しながら作業を続ける。 今日は、カニバサボテン、オリズルラン、トラディスカンティアなどの鉢物を取り入れた。 |
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| 12/1 |
昨夜のニュースで、雅子妃殿下が出産間近で入院なさったとのこと。(翌日、内申女の赤ちゃん誕生)
石、石、石.... この家は越して来た時から、石との格闘であった。予算がなくて、整地ができなかったこと、そして、建築ができるようになるまでの間に駐車場となり、トラックいっぱいの砂利が投入されただけのみならず、さまざまな残骸、砂利などが投げ込まれていたようだ。加えてここは、多摩川の近くだから、どこを見ても石ころだらけ。 越して来て最初は、とにかく南側の石を家族で拾ってはこの北側に持ってきた。いや、砂利だけではない、欠けた瓦もたくさん。 いちど、浄化槽を水洗化するために、その拾った砂利を使ってもらったら、あらかた埋まってしまった。家族全員が両手で拾ったひとつひとつである。減ればまたこの北側に投入。その後のほとんどは私が運んだものである。草花を植えよう、小道を作ろう、とほじくり返しては、篩にかけて残りのじゃりを運んだ。そして一昨年、駐車場の整備の折に小トラック2台をショベルカーがすくって持っていった。 その後も石ころがどんどんでてきて、またここに運ばれた。家族が通る、自転車が通 る。砂利と土が混じってでこぼこがやがて平らになった。 でも、見苦しい。ハナタデなどの雑草が生えるところを作ってやりたくて、砂利をどけてやりたくて、思いきって掘り出した。土と砂利が入り交じっているので、かき寄せてすくっては篩にかけ、きたない石は裏の駐車場に、そして残りを元に戻している。 ひとりで、黙々と作業をする。重い石の入ったバケツを持ちあげる時だけ、「ヨッ」とかけ声をかけて。暗くなってあたりが見えなくなるまで、黙々と石をすくう。 「この石はこの庭で何度移動されたんだろう。誰の手でここまで運ばれたんだろう。」 「そうか、これを運動と思えばいいんだ。生産的な運動と思えば」 この北側の、陽がほとんど射さない所に、今年の秋に青梅の裏山で拾ってきた種を撒いてみよう! こうして数時間。こんな仕事をした日には、床に入っても本を取り上げる気力もなくなる。何時間かの作業だけれど、終わった部分のごろごろを思い浮かべながら、穏やかに眠りに落ちていく。 「Pippimamaちゃん、今日も良く遊びましたね」と自分に語りかけながら........ |
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