庭日誌 November 2001  前半| 後半  最初のページに戻る戻る

11/28

さあ、これは一体なんでしょう?

最近見つけたP. Allen さんのサイトで紹介されていたアイデアを実行してみました。

バケツに砂を入れてサラダオイルを入れます。ちょっとかき混ぜてそこに道具をほおり込んでおくんです。いつも油がついているので、錆び付かないし刃がきれいです。

仕事をする度に道具捜しをしていたのですが、バケツごと庭に持ち出して、必ずここに戻すようにすると、便利です。「砂が研ぎの役割もする」とのコメントがありましたが、そこのところはどうでしょうか?気に入っています。

11/25

 秋の一日、いろいろと写 真を撮ってみた。
枯れ葉は、見苦しい?少なくとも、今までそう思っていた。枯れると茶色くなって汚らしいから、すぐに取り除かなければと思っていた。忙しくてそれができないと、怠けているようで恥ずかしいことのように思ったこともある。

  視点を変えると、こんなにも自由になれる。雑草というのが、人間の勝手な分類によってできたものならば、汚い色というのも同じことではないか。今年は、シランもそのまま、真っ赤に染まった落ち葉を掃いてしまうのも一日二日と先延ばしにしている。

 20代の頃、濁った草色や茶色を好んで着たことがある。母が「どうしてそんな汚い色を着るんだろうねえ、もっときれいな色を着ればいいのに。」といかにも嫌そうに私を見ていた時期。私は、綺麗なピンクや水色は野暮ったいと思っていた。もう、この年になっては、そんな色はとても着れない。くすんだ肌をいっそうくすんで見せるだけだから。

 抜けるような秋の空の下、上の写真はシュウカイドウ、なんて綺麗なんだろう!カメラを持って庭中をうろうろ廻りながら、ため息のつきどお しだった。車を運転していても、木々の美しさにうっとりとしてしまう。紅葉ってこんなにきれいだったかしら。秋の庭色、 今日の成果はこちらへどうぞ。

11/21

近くのディーストアーで、昨日買ったものと同じ、斑入りリュウノヒゲがあった。(左の写 真右端)日本橋で700円、こちらで250円とはなんという値段の違い!どちらかというと、今日求めた方が生きが良いくらい。野育ちと都会育ちの違いは感じるが、我が家に来れば、どのみち野育ちに変身するに決まっているのだもの。

昨年、プリムラオブコニカ(Primura obconica)は暖かくなって消滅してしまった。夏越しが難しく、1年草として扱うのがよさそうだが、叔父の家ではこぼれ種でたっぷりまかなっている。調べてみると、どうやら土を乾かさないようにする必要があるらしい。ははあ、それでか、我が家には、いつになっても花もさかずに、貧弱どころか虫の息のポリアンサは、乾いた土のところにある。可哀想なことをした。好酸性ともある。

 左のモクビャッコウ(木白香)は、つい最近、遠出をして仕入れに行ったおり、もう持てなくて泣く泣く諦めてきたもの。あまりに未練がましいものだから、店員さんが哀れんで、たまたま落ちていたラベルをくれたほど。あそこの店ではいくらしていたのだろうか、今日は150円で買ってたのだが。

珍しいものを追うのはほどほどにせよという、戒めなのだろうか。都心を離れた我が家の近辺でも、何軒か回れば、結構な種類の植物が手に入るようになってきている。

 近ごろは3日に一度は焚き火をしている。落ち葉はコンポスト行きなのだが、エノキワタアブラムシに痛めつけられているエノキの葉だけは、どうしても消却したいのだ。良く見るとウドンコ病の斑点もついている。

 昨年同様、西側のカイズカイブキの剪定を始めた。もっこりした葉が落ちて枝が見え、木漏れ日が差し込むようになる。何年か前、「枝ぶりが見えるように刈るんだよ」と植木屋さんが言っていたっけ。あの時は、「なんで日本人は、哀れなくらい小枝を落としてしまうのだろう」と疑問に思っていたのだが、近頃その良さが分って来た。同じく、黒土が見えていることも、「これも良いじゃないか」と思えるようになってきた。

 土を見せるのはUglyとある外国人が言っていて、それ以来気にしていたのだけれど、これにはそれなりの良さがある。確かに外国の庭はほどんど土をみせないようだが、きれいな土がでてもおかしくない、そんな場所も作っていきたい。

11/19

来春が待ち遠しい。

今日の収穫は、

白花ユキノシタ、フイリリュウノヒゲ、ニゲラ、セダム(dragon's blood)、ナデシコ(lion rock)、カルーナ(winter red).

 購入がお昼頃、それから夜まで用事で都心を動き回った。そう、電車の中、地下鉄の中と、一緒に連れて歩いた。

 このライオンロックというナデシコは、とても丈夫な交配種であると、どこかで読んだことを思い出して今日見つけたのを良い事に購入した。シベリアユキノシタは昨年枯らしているので心配なのだが、綺麗な銅葉にやっぱり参った。

 

 こちらは、昨日届いた分。セージ、グラス類、トラノオ、ナデシコ類、自分にも一体なにを注文したのか分らない。この冬を乗り切ってくれたら地面 に下ろしてあげましょう。

 春が待切れずに、冬を前にこんなに苗を購入するなんて初めての事。何だか赤ちゃんがたくさんいるみたいで、「おおよしよし」と朝起きれば一番に様子をみる。水のやり具合も、ひとつひとつ違うので、春までに名前を覚えてあげよう。

 こうしていると、昔の祖母の話を思い出す。子供が6人も居たから、叱る時に名前がすぐに出てこなくて、かたっぱしから思い付くままに呼んでいると、一体何を叱ろうとしているのか分らなくなって、笑いだしてしまったとか。手をあげない人だったから、顔を真っ赤にしてひたすら怒るだけ。「どうして私の言うことが分らないんだろう」と嘆くだけだったとか。優しいおばあちゃんだった。

11/17

 これは、散歩の道路脇に作られた花壇の花。種を撒いてその袋を棒の先にかぶせて通 る人にも分るようにしてある。「Cynoglossom 支那わすれな草」

 半日陰の幾分湿り気のあるとこで、夏の始めから今までずうっときれいに咲きつずけている。

 調べてみるとラテン名はCynoglossom amabile "Chinese Forget-Me-Not"でもっと綺麗な写 真は下の所で見る事ができる。とても元気で、直播き、毎年こぼれ種でたくさん出てくるとのこと。ぜひ来年種を求めて撒いてみたい。黄色と一緒にすると映えるそうだが、はて、どんな黄色を持ってくればいいのやら。
http://www.em.ca/garden/ann_cynoglossum1.html

 手入れの行き届いた杉林。木漏れ日が美しく、榊などがたくさん生えている。

 今私は、生長しきったコノテガシワとの格闘が続いている。厚く枝葉が密集してしまうと、木漏れ日も期待できず、冬に微かな日ざしさえも草花には当たらなくなってしまうから。右手の腹が鋏みの使い過ぎで痛い。

11/16

 我が家の花木は、どれもよそ様にくらべるとずうっと奥手。この白いサザンカもやっと咲き出したばかり。だから、12月に入って雪が降ると、蕾みがだめになって盛りが見られない。「もう少し早く咲けばいいのに」と思うのだが、考えてみれば主も奥手。犬だって飼い主に似ると言うのだから仕方ない。

 ピンクの方は、まだまだ蕾みが固く、身持ちが良いという事にしよう。

 日増しに差し込む日ざしの角度が浅くなり、居間に朝日が入らなくなった。この東側のカイズカ、今朝方までは頭部分が重かったのだが、整列した前を行きつ戻りつ、結局大決断をした。

  昨日まで、てっぺんの30センチほどは手が届かなかった。いちよう芯は詰めてあるので、頂上にはたくさん芽がでている。だから、まるで、襦袢だけを着ている花魁みたいになっていた。頭が重かった。おまけに、お隣にでっぱっている枝も気になる。いくら背伸びをして手を伸ばしても塀の外に突き出た枝が落とせない。

 そこでのこぎりの登場。植木屋さんにもらったのこぎりで体を突っ張って無理な角度で歯を当てる。腕が痛くなって休憩をしながら、一度はのこぎりが食い込んで離れなくなり、大枝だがどうしても地上に落ちなくなり、すったもんだの末に、やっとここまで辿り着いた。

 ドサリドサリと枝の落ちる度に朝日が部屋に差し込み始める。トラ刈りとはこのこと、などと思いながらも、この木々が幼木だった頃を思い出す。「早く大きくな〜れ。お隣の庭を通 して、道路から居間が丸見えにならないように。大きくなあれ。」と朝に晩にひたすら大きくなるのを楽しみにしていた。そして、今.....。

 こんなことを考えるのは皮肉屋だろうか。

 子育てをする多くの親が、子供が小さい時には、末は東大、大臣、ノーぺル賞、と夢いっぱいに、大きくなるのを楽しみにし、大きくなるにつれて、思うようにならない子供にいらだちを募らせる。私の場合、子育てには指南役がいたので失望の難を逃れたが、植物に関してはまったくの不勉強。植えた身勝手、切り取る身勝手を許して頂戴ね。ひとつ言い訳を言わせてもらえばね、植えたのは私じゃあないのよ。反対はしなかったっけかな。

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