庭日誌 September 2001 前半 (後半)          最初のページに戻る戻る

9/17

 先週末は長野県の飯田まで、用があって行ってきた。道路の中央にりんごんの木があって、熟した実が、たたわわになっている。植えた当初は、大火のあとで、実っていても誰も捕らないようなそんな町にしたかったとか。

 物の豊富な現代では、誰も捕らないのは味が良くないかららしい。
でも、地面に落ちている赤い実を見て、熟れた実が捨て置かれるのはもったいないような気がしてならなかった。
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 自宅では、塀の外のアイビーが滝のように暴れている。
朝は芝刈り、夕方になって、 ようやく重い腰を上げて刈る事にした。

 道具一式を手に外にでると、散歩をしている親子連れがいた。
私を見た子どもが、母親に向かって「ねえ、あの人何をするんだろうね?」
母親は「そうねえ...」 と言いながら、ふたり共歩いて行ってしまった。

「見りゃあわかるじゃん!こちとら植木挟みでちょきちょき蔦を切っているんじゃないか」 と思った。

 暫くすると、子ども用自転車に乗った男の子が、急に止まって
「あのう、ここの家の人ですか」と丁寧に私に声をかけた。
「ええ、そうよ」
「あのう、この間父とキャッチボールをしていたら、ボールが中に入っちゃったんです。
捜させてもらえますか? 」
「ええ、どうぞ。」

 自転車を道路の中央に停めたまま、走って庭に入っていった。

 私は、一旦は後から付いて行ったが、すぐに戻ってアイビー刈りを続けた。
置きっぱなしの自転車を道路脇に寄せようと持ち上げたら、意外と重かった。

と、間もなく坊やが出てきて、
「見つかりませんでした。また来て、捜してもいいですか?」
「ええ、いいけど、電話番号と名前を書いていらっしゃい。おばちゃんが見つけたら連絡してあげるから」
「はい、そうします。買ったばかりのボールなんです。」と、坊やは自転車に飛び乗って行った。

 間もなくその坊やが戻ってきたと思ったら、 今度は父親が一緒だった。
父親は丁寧に挨拶をすると、今度は親子で庭に入っていった。
私は、日の暮れる前になんとか片付けなくてはと、チョキチョキチョッキン。

 5分もしただろうか、嬉しそうな顔をして坊やが出てきた。
「ありました!ありがとうございました!」

 なんだか私まで嬉しくなり、父子の後ろ姿を見送っているうちに笑みがこぼれた。

 たかが小さなボールひとつ。今どきの子のほとんどが、すぐに新しいものを買おうとするだろうに。

 物を大切にするっていいなあ。

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 そんな事はないのだけれど、もしも、私が大金持ちなら、それでも無駄をせずに生活をしたい。
そして、ゆとりのお金はどこかに寄付をして使ってもらえばいい。残念ながら、 そんなことなんか、起きやしないのだけれど、......。残念ながら、......。

9/12

昨日、ニューヨーク、マンハッタンの世界貿易センターとワシントンの国防総省でテロ。民間航空機がハイジャックされて、ビルに突入、自爆した。

 心が重く、緑を求めて庭にでる。
争いのない世界なんかない。歴史書をひも解けば戦争が流れの主軸となって物語る。

  緊急事体や不景気の時、一番いらなくなるのは芸術の分野となる。が、人間はそんなものなのだろうか。

 居間でニュースの映像に釘付けになる自分は、安全な所に居て心配なんかして、偽善者みたい。ずるいみたい。

 人間は、「Art」なしでは生きられない、衣食住よりの必須であると誰かが言ったそうだ。

 どこに生活の最低基準を置くかは人それぞれだろうが、人は飢えていないが限り、美しいものが必要。コンクリートとセメントに囲まれて生きている私達は、ともすると、心の乾きを自覚することすらなくなっているのではなかろうか。

 忙しさに音楽を忘れかけていた私が、久しぶりにCDをかけ始めた。ひょっとして、心の乾きや飢えを感じ取るセンサーが故障してしまうと、人は恐ろしいことを平気でするようになるのかも。

 もうすぐ公開予定の、Pippimama Art Collectionに力を入れよう。

9/9

 台風が近付いている。熱帯性低気圧特有のじっとりとした空気を感じ、予報を調べた。

 ハナトラノオ(フィソステジア)、ソバカスソウ、アリウムの種類の何か、ニラの花。家の中に閉じ込められそうだから、少し切ってきた。

  ワイルドヤードといった感の庭の写真を6枚、「庭の概略」に更新。

9/6

 また、一週間ほど留守にしていた。昼過ぎに帰宅途中、ダイナミックに咲き誇る朝顔が目に入った。はて?あれは我が家の塀を乗り越えて裏手に回り、家のカイズカイブキに這い登っている朝顔ではないか。
 朝顔を、 西向きの塀に沿って植えたのは大きな間違いだった。朝日を求めて 裏手に回ってしまうから。あ〜あ、こちらから見るより何倍もたくさんの花が隣家の方に向かってびっしり咲いている!

 少々気落ちしたけれど、陽が翳る頃には、ちゃんと夜顔が咲き出した。なんて妖艶な美しさだろう。去年、自転車で何度か通 った家の塀に咲いていたのを、うらやましく思っていたから、今年は種を求めて育ててみた。 見とれていたら、何十と大根足が蚊に食われてしまい、花を摘んで家の中に退散した。ね、綺麗でしょう?ほんのり香りがある。でも、ごめんなさいね、だってすぐに萎れてしまったのだもの。短い命なのに、もっと短くしてしまって。でも、私を誘惑したのは貴方なのよ...。

 実は、仕事で京都に行っていた。若い頃はあまり魅力を感じなかった寺の庭だけれど、今はその凄さに感嘆する。隙をゆるさないまでに丹精された松。銀閣寺入り口にある青味がかった松は素晴らしかった。丸山公園の百日紅、ゆったり伸びやかに育って池に向かって舞っているよう。花の付き方と枝振りからすると、一般 に見かけるものとはちょっと種類がちがうようだが。我が家のは、花の付く枝が長く、また花もたっぷり付くので、重さで枝垂れ形になる。

 木を中心にした京都の庭園は、成熟した大人の味といったところでしょうか。

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